ノスタルジックなレトロラジオの買取のお知らせ
目次
「ラジオ」とは皆さんがご存知の通り、電波を利用して様々な情報や娯楽を音響で人々に伝達する放送のことであり、
またその受信機も指します。
ラジオはいつでもどこでも聴ける利便性が大きな魅力です。
ドライブ中にニュースや歌をラジオで聴いたり
勉強の息抜きに深夜ラジオ番組を聴いたり…
何かをしながらラジオを聴いたりすることも、生活の楽しみのひとつになっていますよね。
また、災害時に必要な情報を与えてもくれる防災グッズの必需品にもなっています。
ラジオの登場
ラジオが世界に初めて登場したのは1900年です。
カナダの電気技術者レジナルド・フェッセンデンが、高周波火花送信機を使った音声信号の送信実験を行い、約1.6km離れた地点での受信に成功したのです。
これが世界初の音声信号の無線通信とされています。
その後も彼は改良に取り組み、有線電話網に無線を相互接続しての通話実験を行いました。
また追加の公開実験では世界で初めて娯楽および音楽を一般向けに流し、
同年の12月24日(クリスマスイブ)にブラントロックから行われたラジオ放送は
レジナルド自身が『さやかに星はきらめき(O Holy Night)』をバイオリンの伴奏で歌い、聖書のルカの福音書第2章の一節を朗読するという素敵なものでした。
日本でも、1925年3月12日、東京放送局(NHKの前身)芝浦仮放送所から
JOKAの第一声が流されました。
この日は「放送記念日」に指定されています。
日本でのラジオモデルの変遷
日本のラジオの初期モデルは「探り式鉱石受信機」です。
「探り式鉱石受信機」とは、鉱石の表面に針を当てて、よく検波できるところを探す機種です。
当時のラジオの性能はあまり良くなく、発信源である東京市(現東京23区)外ではよく聴こえないものでした。
その後電気電子回路のガラスや金属などで作られた容器内部に複数の電極を配置し、
容器内部を真空とし少量の稀ガスや水銀などを入れたタイプの「真空管」に代わり、
スピーカーで大きな音量の放送が聴けるようになります。
しかし、当時はまだラジオが高価であったことからその受信者数は伸び悩みます。
ですが1930年代にはラジオの低価格化と品質の向上が進み、
1931年(昭和6年)に起きた満州事変でリアルタイムでの戦況や国内状況の情報が必要となったことから受信者数が急増。
さらには政府が国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励したので、
より一層ラジオの普及に拍車がかかったのです。
アンティークラジオブーム到来!希少で高価なワケ
バブル時代に球式のアンティーク・ラジオはブームの絶頂期を迎えました。
ラジオの外観も意匠を凝らした素敵なものが多く、部屋に飾ると雰囲気がでてなお魅力的でしたから。
ただし人気があったのは骨董価値の高い大正・昭和初期のモデルであって
その時代以降のものは一般の骨董市に出回ることも少なく,ほとんどが未発掘のまま埃をかぶって眠っています。
そういった数多くの球式ラジオは保存状態が確実に悪化していき廃棄されてしまうため、発見の頻度も低くなってしまうのです。
アンティーク・ラジオブームは米国や欧州でも盛んであり,
特に米国では大きな市場が存在します。
大きな市場が存在するということは、修理・販売などの販売店が数多くあるだけでなく,収集や修理を支援するシステムも整えられています。
スピーカーの修理,回路図やマニュアルの販売,布やツマミ,ダイヤル専門店などはラジオマニアにとっての重要なライフライン。
また修理に不可欠な真空管だけでなく、部品に至るまで昔製造されたものが新品で販売されています。
日本ではなかなかこうはいきません。
アンティークラジオ・昭和ラジオの買取
真空管ラジオは手工芸的な要素が強く多くの職人と時間を要しました。
その昔にはキャビネットは大工仕事ですし、配線の引回しと半田付けも手作業です。
従って大量生産はできませんでした。
今現在は戦後の復興期に分解や改造を経て、全国に数万台以上は残存していると思われます。
もしお手元にラジオがありどれだけの価値があるのか興味のある方は
ぜひHIROYAまでご相談ください。
大切に査定をさせていただきます。
お客様が安心して査定や買取ができますように、
最初から中古の状態であることを加味して金額を提示いたします。
したがって、あとから極端に下げるということは断じてございませんので
どうぞご安心くださいませ。