量産品と職人物の将棋盤、駒の違い

将棋の駒や将棋盤においては、量産品と銘が入っているような逸品と言われるようなものとでは全く違う価値があると考えられます。量産品となれば100円ショップで売られるようなモノがありますが、制作者の銘が入るよう逸品ものということになれば、何十万円~何百万円、場合によっては値段がつけられないものというようなものにまでなるので、価値を云々というような事では無く、文化的な価値も考えられるようになる物ともなります。
量産品と逸品との基本的な違いは機械を使っての量産品か人手による作業なのかということになりますが、材質から拘っているのが逸品もので、その違いは見る人が見れば誰の制作なのかが分かってしまうというような事になるぐらいの違いがあるという事です。プロの棋士がタイトルをかけて戦うような時には、こうした逸品ものが使用される事もあって、通な人は使用される将棋盤などをチェックして、そのタイトル戦の価値を考えたりするという事もあるようです。一般的な人からすれば、ほとんどその差を見つけることは出来ませんが、分かる人にはわかるというのが、この世界の奥深さを物語っていると考えていいでしょう。
将棋盤の五目の目ですから、逸品ものの場合は人が刀に木目となる黒色の液体のようなものをつけて、刀を将棋盤に押し付けるようにして、線を描くという事をしているわけで、実は将棋盤の線すら実は名人が一本一本丹念に描いているというわけです。単にマジックのようなもので描いたというわけでは在りませんから、しっかりと膨らみがあって線としてはっきりと見えるようになっているわけです。プロの棋士の戦いをテレビなどで見ていた時に、妙に立体的に将棋盤が見えるというように感じたことがある人もいるかもしれませんが、そうした事を感じられるのは、こうした職人さんの技術があるからこそという事も言えるでしょう。単に板に黒い線を描いたというだけだと、平面的なものしか出来ないので、立体的にそのマスを認識しにくいわけです。これは量産品と逸品ものを隣において同じ角度で撮影してみるという事をすると良く分かります。線が立体的になっていると、より境界が強調される感じがして分かり易くなっているという事が理解できる事でしょう。
更には、名人といわれるような職人さんの場合は、材質から拘っていますし、将棋の駒の音が全く違うという事も棋士の間では良く知られるところです。逸品ものの駒は綺麗な音がするので、気持ちいいという事がありますし、持った時にある程度の重みを感じる事が出来て、心地よさを感じる事も出来るというぐらいの仕上がりになっています。量産品の場合は乾いた音がするだけということが多いですし、プラスチック製品の駒ということになれば、音がもうプラスチックの音になってしまって、木の重みのある音が全くでないという事にもなります。将棋を指すと分かりますが、この木の清音が実はとても耳に心地よく響くという事があります。勿論、負けている時にはそのような音を気にすることは出来ない精神状態になるのですが、心に余裕があるときには、この音が心地よいという事もあります。
将棋はある意味では心の戦いというように表現する棋士の方もいて、自分の心をぶつけるのが将棋だと考えている人も少なくはありません。とすれば、その自分の心を表現する駒というのは極めて重要だと考えている人がほとんどだといって良いでしょう。そのため、量産品が世の中にいくらでも溢れる時代になっていても、未だにプロの棋士達が使用するのは、こうした逸品ものを使用するわけです。ある種の権威付けという事もあるのは事実ですが、逸品ものには量産品とは次元の違う質の高さがあると考えていいでしょう。


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